山羊革工芸品の生産者

山羊革工芸品の生産者

山羊革工芸品を届けてくれるのは、インドのチャタジーさん。難民としてインドへ渡り、努力を重ね自らの工房を開きました。工房で働くスタッフを大切に、伝統を守りながら、新しいことにも意欲的にチャレンジしてます。

山羊革製品生産者

ひとつひとつ手で色付けをする様子

シャンティニケタ二がつなぐ、平和への思い

サンスクリット語で”平和郷”を意味する、インド東部のシャンティニケタン。この地から生まれた山羊革工芸品は「シャンティニケタニ」と呼ばれ、かつてインドの詩人タゴール(※1)が日本を訪れた際、革細工に感動し、その技術をインドに持ち帰ったことが始まりといわれています。

平和と農民の自立を願うタゴールの志とともに発展した山羊革工芸品は、農民たちの副業として広がり、バングラデシュ独立戦争で難民となった多くの人の生きる糧として今なお光を放っています。

※1 タゴールは、近代インド最高峰の詩人であり思想家といわれ、1913年にアジアで初のノーベル賞を受賞しました。自然の中での全人的教育、インドと西欧文化の融和、学問と芸術の統一、農村再建のための開かれた教育を目指しました。シャンティニケタンの地には、タゴールが設立した学校があります。

山羊革工芸品生産者紹介

山羊革製品の生産者チャタジーさん

戦争がもたらした人生の岐路

山羊革工芸品を私たちに届けてくれるのは、東インドに自らの工房を持つチャタジーさん。ひとつひとつ手作りされる山羊革工芸品には、チャタジーさんの平和への深い想いがこめられています。

チャタジーさんの生まれは東パキスタンで、現在バングラデシュと呼ばれる国です。当時の西パキスタン(現パキスタン)と東パキスタンで軍事政権に対し、1970年12月に実施された選挙で圧倒的な勝利をおさめたのは東アワミ連盟は、東パキスタンに住むベンガル語を母国語とする人々を、ウルドゥ語を母国語とする西パキスタンから分離独立させて自治権を認めるように要求しましたが、これにかたくなに応じなかった大統領との間で、1971年独立戦争へと発展しました。

東パキスタンでは、西パキスタン勢力による大虐殺や暴力行為が行われ、独立派だけでなく、多くの市民や知識層、ヒンドゥー教徒もその対象となりました。犠牲者の数は300万人以上といわれ、戦争時には900万人ものヒンドゥー教徒がインドへ逃れ、難民となりました。ヒンドゥー教徒のベンガル人であるチャタジーさんもその1人です。

山羊革工芸の職人さんたち

平和郷にたどり着くまで

1968年、チャタジーさんは18歳で東パキスタンからインドへ避難してきました。「当時ヒンドゥー教徒が東パキスタンに住むことは非常に困難な状況だったのです。急進的なイスラム教徒が力づくで私たちの土地を占領しました。土地は私たちの唯一の収入源でしたし、ヒンドゥー教徒にはいい仕事もあてがわれなかったです。このまま、この地に残っても生活や安全がのぞめないと思い、母国を去る決心をし、難民としてインドへやってきたのです。」

インドへやってきたチャタジーさんは、小さい子供たちに読み書きを教えて生計を立て、中断されていた教育を終えるため大学へ入学しました。1971年にバングラデシュが独立すると、東パキスタンに暮らしていたほとんどのヒンドゥー教徒が難民としてインドにやってきました。

「私たち家族の暮らしは大変苦しいものになりました。多くの親戚や友人がインドにやってきて、私たちのところに頼ってきたからです。お金も食糧もなく、どうやって生きていったらいいのかと途方もくれました。そこでわたしは人々から寄付を集めたり、政府からの配給をとってきたりして、少しでも彼らの助けとなるように働きました。このとき私は分かったんです。わたしがやったことが誰かの助けになるのなら、それは自分自身も満たされるのだということが。」

山羊革製品生産者

山羊革バッグを縫製する職人さん

大学卒業後、衣類の卸売りをしているとき、お客さんが関心を持っていたシャンティニケタニと関わることに。2年ほど無報酬で工房で働き技術を覚えた後、独立。当初は10名程度だったワーカーが、今では注文量が多いときにはおよそ100名になってます。

「山羊革細工の仕事は、私の生きる道です。それにこの仕事はとてもクリエイティブな仕事でもあるんですよ。毎年新しい色やデザイン、型ができますからね。」というチャタジーさんも、この仕事をはじめて50年以上たちました。

「私たちは人生で多くの困難にぶつかります。しかし、もがき格闘したあとで平和を見出すのです。それは自然が嵐や地震をもたらしたあと、平静な状態に戻るのと同じです。たとえ多くの困難にぶちあたろうと、なんとかしようとし、とうとう平和を見出す。そういうものだと思うのです」とチャタジーさんは言います。世界の平和は自分の心から、家庭から、職場から、学校から、始まってます。

近年山羊革製品の工房は減少し、伝統的な手仕事の文化が失われつつありますが、「工房で働くスタッフはみな家族のようなもの。だからみんなが継続して働けるよう、伝統を守りながら、新しいことにもチャレンジして工房を守っていくんだ。」と、チャタジーさんは新しいチャレンジに意欲的です。