シンガンパティ紅茶生産者

フェアトレード紅茶の生産者

インドの紅茶生産者シンガンパティ農園は、インドで最初に有機認証を取った農園です。有機栽培やバイオダイナミック農法に取り組み、自然環境を大切に、自然と共存しながら紅茶作りをしています。

フェアトレード紅茶生産者

タイガー保護区にある農園

大自然と共存する農園

シンガンパティ農園は、南インド最南端のタミル・ナードゥ州にあり、トラ、ヒョウ、象、絶滅危惧種のクロザルなどが棲息するカラカド自然保護区内に位置しています。保護区のゲートを越え、でこぼこ山道をジープで1時間ほど進むと、目の前に茶園と村落、森の織り成す美しい農園の遠景が現れます。

この特殊な環境に囲まれた農園には、1,000人以上のワーカーとその家族の暮らしがあり、そして、熱帯の原始林の生態系保全活動と、有機農園経営との両立を実践する先進的な取組があります。農園の名前である”シンガンパティ”は、その昔、この地を治めていた王様の名前です。

大自然に囲まれた農園

インドで最初に有機認証を取った農園

シンガンパティ農園は、インドで最初に有機認証を取った革新的な農園です。今のようにオーガニックブームが起こるずっと前の1988年という昔に、有機栽培とバイオダイナミック農法に切り換えました。その切り替えを主導したのが、当時農園の責任者だったリッキー・モンタナさんです。

リッキーさんは、土の力、植物の力、すべての自然の力を信じていて、有機栽培やバイオダイナミック農法は、生産物や生産者にとって良いだけでなく、それをいただく私たちの健康にも良いはずだ、という信念を持っていました。

切り替えた当初は収穫量が下がるなどの困難もあったようですが、徐々にワーカーの間でもリッキーさんの理念への共感が広がっていきました。

リッキーさんは、環境保全の先見の明があり、多くの希少動物の住処となっている農園内の熱帯雨林の保護に努め、また、後述するように風力発電所をつくるというアイデアも実現させました。残念ながら2000年に他界しましたが、皆の師匠のような存在であり続け、今でも多くの人が尊敬しています。

訪問者が宿泊するゲストハウスは、”Ricky’s Hat(リッキーさんの帽子)”と呼ばれていますが、リッキーさんが最後に滞在したときに、入り口に帽子を忘れたそうで、その帽子が今でもそのまま玄関に掛けられています。この帽子をみると、農園の皆は今でもリッキーさんが近くにいるように感じるといいます。

風力発電の様子

自然エネルギーを取り入れた紅茶作り

1993年から、自社コストによるクリーンエネルギー導入プロジェクトを開始しました。1994年に8基、1998年に4基、合計12基の風力発電機を設置し、そこで発電した電力を製茶工場で使用しています。風力というクリーンエネルギー100%で製茶工場を動かすという試みは、世界でも類を見ない、先進的な取り組みです。

シンガンパティ農園は、バイオダイナミック農法にも意欲的に取り組んでいます。ドイツで始まったこの農法は、太陽、月、惑星と地球、動植物すべての生命エネルギーを重視した農法で、ヨーロッパでは、バイオダイナミック農法で作られた農産物は有機農産物よりも高品質で生命力がある、と言われるほどです。

具体的な実践例としては、満月の日に種まき、茶摘みをする、牛の体部位など自然物質を用いた「調合剤」と呼ばれる物質を手間ひまかけて手作りして堆肥に混ぜて散布するなどです。調合剤の作り方は、牛の糞を牛の角に詰めて土に埋める、タンポポの花を牛の腸につめて土に埋める等々で、私たちから見るとちょっと神秘的な感じがするのですが、その効果はあるそうです。

農園の託児所

充実した福利厚生とワーカーの暮らし

シンガンパティ農園では、託児所から高校までの育児・教育、また医療や薬が無償で提供され、定期健診や生活習慣病予防の教育も行われています。

平均寿命・幼児死亡率などはインド全国及びタミル・ナードゥ州の平均に比べ抜群に良く、汚染された都市で多いアレルギーや肺がんなど呼吸器系の疾患がほとんどありません。娯楽施設や図書館、帰省の送迎、近くの町へのバスの運行、退職金制度など、インド政府が規定する基本的な待遇を上回る充実した福利厚生になっています。

その他にも、フェアトレードのプレミアムでシンガンパティ基金が作られ、そこから生命保険や奨学金の付与など金銭面のサポートがなされ、さらにレインコート、圧力鍋、ランチボックス、子どもが学校で使うノートなどワーカーに役立つものの現物支給が行われています。

茶摘みをする女性

ワーカーの農園での仕事時間は、7時半~16時半で、12時~13時は昼食休憩となっています。茶摘みは主に女性の仕事で、他のワーカーとおしゃべりしながらも、その手は器用に迅速に1芯2葉を摘み取っていきます。

有機栽培で一番苦労することは、雑草のコントロール。雑草は人の手で取るしか方法がないそうで、どんな急な斜面の雑草でも手で取り除いていかないとならないのでとても大変だそうです。

スタッフが農園を訪問したとき、ワーカーの女性たちは畑の畝で茶摘みをしながら、はじける笑顔を向けてくれました。ワーカーの女性は、「この農法と毎日体を動かすおかげで、健康には何も問題ないよ。この村は私の生まれ故郷。娘が都会の大学に通っているけど、都会は汚染がひどい。」と語ってくれました。また、別の男性は、「この村の生活は都会と比べて断然良い。汚染がなく、病気もなく、犯罪もなく、平和だ。助け合えるコミュニティもある」といいます。

自然と共存する、というリッキーさんの理念がワーカーたちの間に根付き、それまでは「環境は我々の周りにあるもの」という意識でいたのが、「我々が環境の一部だ」と考えるようになったそうです。そして、その結果、よりいっそう地域の福祉や健康に気を配るようになり、今の農園の姿があるそうです。

ワーカーたちはリッキーさんの精神をしっかり受け継ぎ、土・空気・水・動植物らのエネルギーが、農園の中で輪廻する姿を追い続けています。