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文化交流の面白さに目覚める

月刊Press Alternative1998年7月号
スタッフ物語より抜粋

■和太鼓演奏 in ケニア

伊丹店にいた頃、伊丹太鼓とケニヤのニャティティとのジョイントコンサートがきっかけで、伊丹太鼓、福井のいずみ曲友太鼓と一緒にケニヤを訪れることになり、ケニヤに和太鼓を紹介した。ケニヤ文化省主催のケニヤ音楽祭で和太鼓を披露したが、和太鼓のように大迫力の音がでる楽器はアフリカにはなく、大きなどよめきと拍手大喝采を受けた。国立伝統劇場ボーマス・オブ・ケニヤでのコンサートには、飛行機内で出会った歌手のもんたよしのりさんが見に来た。私たちのプロジェクトに関心をもち、インドで降りる予定を変更してなんとそのまま一緒にケニヤまでついてきたのだった。
「アフリカまで行って和太鼓を紹介すると聞いて、最初は物好きもいるもんやと思った。でも観客が喜んでいる姿を見て、日本の文化も捨てたもんじゃないと思った。日本の文化を伝え、アフリカの文化と交流するのは意味があると実感した。頑張ってくれ」という彼のことばに、メンバーは励まされた。

■マサイ族の男

マサイの村も訪れ、和太鼓を披露し、サバンナに和太鼓の迫力ある音が響き渡った。村人はお返しに、牛の糞でいっぱいの広場で、マサイ特有の飛び跳ねる踊りを紹介してくれた。マサイでは一番高く飛べる男が評価される。遠くの動物や敵の襲撃をいち早く見つけることができるからだ。市場経済の世界に生きる私たちとの価値観の違いに驚いた。

こうやって海外との文化交流の意義と楽しさを実感した私は、その後取り組んだモザンビークとの交流事業で、今度は大変さを思い知った。93年、伊丹太鼓のメンバーと共に、内戦が終結し和平の機運が高まったモザンビークのモザンビーク島を訪問。音楽フェスティバルでやはり和太鼓を紹介した。

■モザンビークから日本へ
平和使節団の来日

94年にその音楽フェスティバルで交流した音楽グループを今度は「平和使節団」として日本に招へいした。マシャル前大統領夫人が代表を勤める地域開発財団のメンバーで、元労働大臣のアントニオ・ネベッシュ氏が使節団の団長だった。曹洞宗の本山のある福井県永平寺町でホームステイをした時、メンバーのひとり、マイジャが発熱し、福井県立病院に入院した。

連絡を受けて駆け付けたアントニオは、マイジャの熱の推移を見て「これはマラリアだ。マラリヤ用の薬を出してほしい。ここ2、3日で対処しないと手後れになる」真っ青な顔で、そう言い出した。何度も医者に頼んだが、「日本ではマラリアの発生は皆無に近いから、私たちもよくわからない。彼女がマラリアだといういうことが証明されないと薬は出せない。東京の病院や検査機関で証明してもらうしかない」。その日は土曜日で、月曜日にならないと連絡もつかないという。緊張した夜を過ごし、翌日曜日にも医者に頼んだが、答えは「薬は出せない」であった。

衰弱していくマイジャをなんとか助けるために、いろいろな関係者に協力を頼み、最後は福井県知事に直談判してようやく薬を出してもらった。マイジャの熱はようやく下がり、アントニオと共に胸をなでおろした。熱がまた上がる可能性もあったためマイジャは入院したまま、公演を続けながらアントニオや他のメンバーが交代で付き添った。

■ストライキ発生

福井での3週間の交流プログラムを終えた後は、山形に移動することになっていた。マイジャも安定してきたので、予定通りの日程で山形に入った。山形では蔵王ミートの山口社長が中心となって運営している異業種交流会「E会」が受け入れてくれたが、E会のメンバーである医師がマイジャをホームステイで受け入れてくださり、マイジャの具合もよくなっていった。ところが山形公演が終わったあと、メンバー全員が座り込み、アントニオと現地の言葉で騒ぎ出した。何のことか聞いてみるとメンバーがホームシックにかかり、全員がモザンビークにすぐに帰りたいと言い出したらしい。まだ2公演残っていた。

最悪の事態も覚悟したが、アントニオの必死の説得で、なんとか引き続き公演と交流を行なうことになった。日本での全公演が終わり、空港で彼らを見送った途端に、それまでの緊張がとけその場に座り込んでしまった。それほどモザンビーク公演は大変だったが、団長であったアントニオの真摯さと責任感の強さに触れ、初めて海外で本当に信用できる人に出会ったことが私にとっては一番の収穫であった。彼をパートナーにしながら、「銃を鍬に!」平和プロジェクトや農業プログラムの取り組みを本格化できたことも、こうした経験なしにはあり得なかったことだと思う。
モザンビーク公演の後も数々の文化交流事業に取り組んできた。国が違い、文化が違えば、問題が起こったり、ぶつかるのは当たり前だ。そこを避けることなく、真正面から向き合い、ぶつかりながら一緒に乗り越えて行くことで、お互いの理解と信頼が生まれるということを学ぶ機会として、文化交流は最高の場である。

辻一憲
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